アキバのつぶやき
2025.02.02
節分と経済
今年は本日、2月2日が節分の日となります。毎年節分の日は、社長が祇園のお料理屋さんで恵方巻を注文し、お得意様や私たち社員に振舞ってくださいます。本数は知りませんが、お店は朝から板前さん総動員で作っておられるとの事です。感謝の気持ちで一杯です。さて、本年はどちらの方角と調べますと、西南西との事。どのようにして、毎年方角が決まるのかもついでに調べました。
その年の「歳徳神(としとくじん)」という神様がいる方角との事です。 歳徳神とは、その年の福徳を司る神様で、別名「年神様」「正月様」とも呼ばれているようです。そして この歳徳神がいる方角を「恵方」と呼び、その方角を向いて恵方巻を食べることで、縁起が良いとされています。
いつから始まったのか調べますと、江戸時代後期から明治時代に「幸福を願って食べた」という説と、江戸時代後期から明治時代初期にかけて、商売繁盛・無病息災・家内円満を願って食べられるようになったという説と様々なようです。また、誰が流行らしたのかといったことも諸説様々です。ウナギ屋さんが土用の丑の日を当てて精をつけるウナギを食べるように宣伝したような感じなのでしょうか。
どちらにいたしましても、商魂たくましい商人の知恵には間違いございません。アダムスミスの「国富論」によりますと、たとえひとりひとりの行動が利己的な動機によるものであっても、それが無数に集積されると、個々人の意図とはまったく関係なく、社会全体の利益となる。つまり、「自己利益の追求」という個人的な動機を自由放任しておけば、市場も社会も自然と成長し続けるということです。
ただここに、悪人が蔓延ると、互いに傷つけあい、不正を企てて相手を出し抜こうと待ち構えている人ばかりとなり、社会は存続できないとしています。正義がなければならないという事です。合理性の中に非合理性が混在しないと社会は発展しないという事でしょうか。渋沢栄一翁が近代日本の資本主義の思想にも近いように感じます。
サン=シモン主義と国富論には何かつながりがあるのではないかと好奇心が沸き起こってきました。休日にちょっとかじってみようと思います。それでは、本日は早目の帰宅で、恵方巻を家族で頂きます。