アキバのつぶやき
2026.01.10
私のカレンダー
私のカレンダーは、世間のそれと少しずれているような気がします。祝日や記念日はきちんと赤く印刷されているのに、なぜか私の生活は、そこではあまり区切られません。むしろ、天気の変わり目や、身体の調子、ふとした言葉に引っ張られて、一日が始まり、終わっていきます。
若い頃は、カレンダーは未来のための道具でした。締切、約束、旅行の予定。先に書き込まれた予定が、私を前へ前へと押してくれました。空白は不安で、何も書かれていない日は、少し怠け者になったような気がしたものです。けれど年を重ねるにつれて、カレンダーの役割は変わってきました。書き込む文字は減り、その代わり、消せない記憶が増えていきます。
病院の予約日、法事の日、誰かの命日。未来よりも、過去と静かに向き合う印が多くなりました。それでも、空白の多い月を見ると、ほっとする自分がいます。予定がないということは、何も起きないという意味ではありません。むしろ、予定外のことが入り込む余地がある、ということなのだと、今は思います。思いがけない電話、久しぶりの来客、突然の散歩。そういうものは、カレンダーには書き込めません。
私はときどき、終わった日付を指でなぞります。何をしたか思い出せない日もあれば、胸の奥が少し重くなる日もあります。それでも、その一日一日を越えて、今ここにいる。その事実だけが、カレンダーの裏側に確かに積み重なっている気がします。
来月のカレンダーは、まだ白いままです。無理に埋めようとは思いません。余白があるから、季節は入り込み、人の気配も忍び込む。私のカレンダーは、予定表というより、生活の余韻を受け止める紙なのかもしれません。
2026.01.09
アリよさらば!
組織の慣性が引き起こす「死の渦」、つまり不祥事の連鎖を止めるのは、ルールや管理の強化ではありません。むしろ、ルールを増やせば増やすほど、アリたちは「ルールを守ること」というフェロモンに縛られるのと同様に、ますます思考を停止させてしまいます。
では、リーダーはどうすればいいのか。それは、現場に対して「筋の良さ」を問い続ける、極めてアナログな対話に集約されると私は考えています。
デス・ミルを止めるリーダーの「3つの問い」、身も蓋もない言い方をすれば、不祥事が起きる現場では「商売としてのセンス」が霧散しています。そこにあるのは「計算」だけです。
リーダーが投げかけるべきは、その計算をストップさせ、個人のセンスを呼び起こすための問いです。
1. 「それは、人間として不自然ではないか?」データが綺麗に揃いすぎている、あるいは何年も全く同じ傾向が続いている。そんな時、リーダーは「素晴らしい成果だ」と褒める前に、「これ、ちょっと不自然じゃない?」と首を傾げる必要があります。 アリの列から離れる最初の一歩は、この「違和感」を言葉にすることです。合理的な計算(スキル)では導き出せない、「何かおかしい」という直感(センス)を組織に共有することが、偽造の温床となる「空気」を壊します。
2. 「もし今日、この業務をやめたら誰が困るのか?」慣性で動いている組織では、手段が目的化しています。「検査すること」自体が目的になり、その先の「安全」が忘れ去られています。 「この書類、本当に誰かの役に立ってる?」という問いをあえて投げかける。もし答えに窮するようなら、そこにはデス・ミルのフェロモンが溜まっています。目的を再定義する問いは、組織の硬直をほぐす特効薬になります。
3. 「その仕事、自分の子供に誇れるか?」最後は、究極の「美意識」の問題です。効率や利益といった「数字のロジック」から一度離れ、「それはカッコいい仕事か、ダサい仕事か」を問う。 捏造や改ざんは、例外なく「ダサい」行為です。リーダーが日常的に「商売の美学」を語り、ダサい行為を許さない姿勢を見せることで、社員は「フェロモンをなぞるだけのアリ」から、自らの意思で歩く「商売人」へと戻ることができるのです。
2026.01.08
法改正にどう対応していくのか。
木造二階建て住宅でも構造計算書の提出が必要になって、一年近くになります。「安全性が高まって良いことだ」と反射的に思う人も多いでしょう。もちろん、それは間違っていません。ただ、ビジネスや制度を少し引いて眺めると、話はそう単純ではないように思います。
これまで木造二階建ては、日本の住宅市場における“量の王者”でした。圧倒的な数が建ち、仕様規定という簡便なルールのもとで、設計・申請・施工が高速に回っていた。言い換えれば、「そこそこ安全で、たくさん建てられる」仕組みが最適化されていたわけです。そこに構造計算書の提出義務が、昨年の4月より加わった。これはルールの変更というより、前提条件の書き換えに近い。
制度を作る側の論理は分かりやすい。
一方で現場では何が起きているか。
すると、不満は制度ではなく、目の前の設計者や工務店に向かう。ここに、制度変更の“静かな摩擦”があります。本来この改正は、「木造住宅をきちんと工学的に扱いましょう」というメッセージのはずです。それ自体は、木造住宅の価値を引き上げる方向の話でもあります。にもかかわらず、運用が追いつかないと、「面倒になった」「遅くなった」という負の印象だけが残る。
これは業務の流れが想像できていない、所謂、ストーリーがまだ完成していない制度ととれます。安全性向上という価値は正しいです。だが、その価値が施主や現場にとって「意味のあるもの」として腹落ちするまでの物語が、まだ設計されていないと感じてなりません。
構造計算書の提出が当たり前になる時代は、止められません。問題は、それを「ただの手間」にするのか、「住宅の質を語る言語」にできるのか。その分かれ目は、制度そのものよりも、それをどう説明し、どう回し、どう納得してもらうか、そしてその運用の知恵にあるように思います。
正しいことは、正しく回ってはじめて価値になる。木造二階建ての構造計算義務化は、まさにその試金石なのかもしれませんね。
2026.01.05
2026年の年頭ご挨拶!
皆様、年末年始はいかがお過ごしでしたでしょうか?
私は、紅白歌合戦を久しぶりに視聴し、特別ゲストに豪華さに見入っておりました。
さて、そんな年末年始の休日でしたが、世の中には、「見る人」と「やる人」がいます。 この区別は単純なようでいて、実は多くの議論をややこしくしている元凶でもあります。
見る人は、全体を俯瞰し、因果関係を整理し、意味を与えます。いわば、世界を理解する側の人です。一方、やる人は、理解が十分でなくても一歩を踏み出します。世界を理解する前に、とりあえず世界に手を突っ込む人です。どちらが正しいかという話ではありません。そもそも、正しさの土俵が違います。見る人は、間違えにくい代わりに、前に進めにくい。
やる人は、前に進める代わりに、よく間違えます。ここには、きれいなトレードオフがあります。ビジネスの現場で厄介なのは、この二つが同じものだと思われてしまうことです。よく考えてからやる人は評価され、考えずにやる人は軽視されがちです。しかし現実には、考えているだけで何も起きないケースの方が圧倒的に多い。
考えることはコストがかからないので、どうしても過剰供給になります。不動産の世界でも、市況を語る人は増え続けています。金利、建築コスト、人口動態。どれももっともらしい話です。ただし、それらを語ることで一件の取引が成立するわけではありません。最後に必要なのは、条件を詰め、腹をくくり、署名をもらうという、あまり知的に見えない作業です。
見る人の言葉は、だいたいきれいです。やる人の言葉は、だいたい汚れています。迷いや逡巡や言い直しが混じるからです。でも、現実はその汚れた言葉の側で動いています。大事なのは、自分がどちらかを選ぶことではなく、今どちらであるべきかを誤らないことです。見るべき局面でやってしまうと無駄打ちが増え、やるべき局面で見ていると、機会は静かに去っていきます。
戦略とは、賢い答えを出すことではありません。見ることとやることの切り替えを、間違えないことです。この地味な判断の積み重ねが、あとになって「実力」と呼ばれるものなのだと思います。
今年のテーマは「考道」(コウドウ)を意識して、経営者と従業員が一丸となって、新た分野にも挑戦していきます。どうかお客様、お取引業者様におかれましては、変わらない御贔屓とご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。
2025.12.29
2025年仕事納めに思う
春になると、毎年同じ場所に同じ花が咲きます。唐の詩人・劉希夷の「年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず」という言葉は、見た目は変わらないが、本質は静かに変わり続けているという世界の真理を突いているともとれます。
不動産市場ほど、この言葉がしっくりくる分野もありません。2025年を迎えた日本の不動産市場も、一見するといつも通りです。分譲住宅が売り出され、建売のチラシが入り、駅前の再開発も進んでいます。花は確かに、例年と同じように咲いている。
しかし、その根の部分、つまり建築コストと土地価格は、明らかに別物になっています。建築コストは、ここ数年で「上がった」というより、「戻らない水準に移行した」と見るべきでしょう。
資材高、人件費高、職人不足。これは一過性のインフレではなく、構造変化です。元に戻る前提で議論している限り、判断を誤ります。一方、土地価格は二極化が進んでいます。都心や利便性の高いエリアは上がり続け、その他は横ばい、あるいは実質下落。土地は同じように見えて、実は全く違う商品になっています。
ここでも「花は似ているが、土は違う」という状態が起きているのです。不動産業界の現場にいると、「昔はこの価格で建てられた」「このエリアは以前も売れた」という声をよく聞きます。しかし、それは過去の成功体験という名の幻想です。
人は同じではない。市場も同じではない。にもかかわらず、花の見た目だけを見て判断してしまう。2025年の不動産ビジネスで問われているのは、価格の高低ではありません。このコスト構造、この土地条件で、顧客にとっての合理性はどこにあるのか。そこを考え抜けるかどうかと思うのです。
花は2026年も咲きます。しかし、その花を支える土壌は確実に変わっている。不動産業に携わる私たちは、花を語る前に、まず地面を掘る必要があるのではないでしょうか。
皆様、2025年も大変お世話になりました。良いお年をお迎えください!