アキバのつぶやき
2024.12.26
管理不全空き家への対応
今月の上旬ごろ、遠く奈良県に住まわれているお客様が、弊社にお越しくださりました。相続で所有されている不動産を売却したいというご要望でした。幅員16mのバス通りに面する立地です。近隣は店舗ばかりです。現地を確認しましたら、なんと二階の屋根が崩れ落ちかけています。ですので、歩道部分には赤いパイロンが設置され、落下物注意との札が掲げられていました。
これはお客様自身がされたとは思われなかったので、お客様に聞きますと枚方市の方で設置されたとの事でした。放置空き家が日本の空き家問題で注視され、特に管理不全の空き家に対しては、厳粛な対応を求めるように法改正がされています。しかし、実際はどうなのかと疑問に思っていましたが、今回のお取引で実感することになりました。
管理不全空き家をご所有されたいる方は、実際にどうすればいいのか戸惑っておられる方が、たくさんいらっしゃるのではないかと強く感じました。建物を解体するにも数十万円では解体できません。資金に余裕がある方ならば、解体して更地で所有することも可能でしょうが、遠方に住んでいて、高齢者となりますと、更地にするということは、管理不全空き家の改善として良い対策とは思えません。
このような状況で悩んでおられる所有者様に、良い解決策を提案できるサービス業務をしっかりと構想していかないといけないと思いました。現在は弊社が所有者となりましたので、安全策と同時に早期の解体工事に着手しなければなりません。
解体費用も年々高くなってきております。管理不全空き家を解体する場合の助成金制度は自治体ではないのでしょうか?
本当に悩ましい問題ですね。
2024.12.23
コントロール
今日は城陽市と宇治市の空き家にされている地所の現状の確認に自宅より直行で向かいました。年末というのに、交通量は少なく、なんだか年末という雰囲気が年々しなくなっているように思いました。そんなか、ふとある人の事が気になり、久しぶりにLINEで近況をうかがおうかと思っていた矢先に偶然その方から物件情報のラインが飛び込んできました。
これをセレンディピティというのでしょうか。
なかなか、いい物件でしたので、現地を見て検討しますと返信した後に、電話をしましたら繋がりお互いの近況を報告し、来年久しぶりに会おうという事になりました。本日の計画していた空き家の確認を終えて、現地に向かって高速を走っていましたら、松井山手の料金所のETC専用レーンが封鎖のマークが出ていないにもかかわらず、渋滞していました。
減速して隣のレーンに移動しましたら、何やら興奮した30代ぐらいの男性が、トラックの運転手に向かって、下りてこいとばかり腕を回しているではないですか。喧嘩を吹っかけています。料金所の方も止めに入ろうとせずに傍観していました。何が原因なのかよくわかりませんが、車の止まり方から推論しますと、トラックがその男性の車を自分の走行しているレーンに入れようと、譲らなかったことのように思います。
それにしましても車が走ってくる料金所の手前で車から降りて、怒りをぶちまけるなど常識として考えられません。車中でぶつぶつ言うことはあっても、車外に出てまで、怒りをぶちまけることは異常な行為です。渋滞を巻き起こしますし、通行者から丸見えです。
感情のコントロールができないと、大きな事件や事故の原因になります。人間関係しかり、感情のコントロールが人生を楽しく生きる要諦である事は不易の処世術であると強く自覚するのでした。
2024.12.22
寓話
少年のころはイソップ物語が有名でした。読んだ記憶はないのですが、様々な場面でその語りが引用されています。「きつねとぶどうなど」、誠に人間の心の内を抉り出しています。
私は、ラ・フォンテーヌの寓話の「狼と犬」が好きといいますか、しがないサラリーマンのとして、考えさせられます。また、過去に、葛藤がいつもあったなぁという感じです。妙に納得させられる話を聞いた時の、ぽんと膝を叩きたくなります。
ご存知の方は多くいらっしゃると思いますが、内容は犬は束縛はされていますが、気楽な生活を暮らしている。一方で狼は束縛が嫌で自由な生き方をしていますが、いつも飢えています。といいますかいつも飢えに脅えているといった方が正しいかもしれません。
これには、教訓が与えられておらず、「狼は今でも走っている」で終わっています。続きは、自分たちで考えなさいという事なのでしょう。
では、どんな言葉が私は浮かぶだろうか、考えてみました。
「人生、所詮好きか嫌いかで判断するのがいい」「良い面、悪い面それぞれに解釈が付き纏うのが人間である」
あなたは、犬がいいですか?それとも、狼でしょうか?
2024.12.21
実名報道
金融機関に勤務している従業員がおこした事件の報道を見ていますと、実名が報道されないことに違和感を感じます。他の業界で事件をおこした容疑者は実名で報道されます。これは、以前から感じていました。何か、理由があるのだろうか?
それと、「元」社員という表現です。
元をつけることで、事件当日は社を辞めていたという感を、醸し出そうとしているのでしょうか?
銀行員はお堅い仕事、真面目な人が仕事をしているというイメージを、学生時代は強く持っていました。でも、これだけ、連続で凶悪な不祥事が続くと、金融業界への不信感を持つ人が増えてくるでしょう。
しばらくは、銀行マンだから騙さないだろうという先入観を捨てて応接する必要が出てきます。地球温暖化などの環境問題に真剣に取り組むことも大切ですが、それ以前に人間性改善の教育に、もっともっと力を入れていくことが、住みよい社会を作る第一義ではないかと思うばかりです。
2024.12.20
〆切り
今週は久しぶりの連休でした。水曜日はお昼前に友人と春日大社原生林から若草山に登り、3時頃駐車場に戻りました。私は省エネ体質ですので、空腹感は無かったのですが、遅めの昼食をとることにしました。
毎年恒例の忘年会まで、少し時間がありましたのでドトールコーヒーで歓談してから、電車でいつものお店に。
5時半からはじまり、今年一年を振りかえって、どうだったかという話題になりました。一人の友人は、今年の9月頃から山登りという趣味に出会い、後半から充実感を得たと言っていました。もう一人の友人は、最悪の一年であったと。何が最悪だったのかと聞きますと、異常なほどに体重が増加し、はいていたズボンが全くはけなくなり、何かにつけ億劫感が先に出て、行動意欲が激減した事だそうです。
なぜそうなったのかと聞きますと、早期に現役を退職して8年間、就職をせずに自由人で生きてきたのが原因かなぁ?といっていました。やはり人間というのは、やるべき事、為さねばならないという目標というものがないと、怠け者になりがちという事でしょうか。
それともう一つ大切な事は、〆切りを設けるかどうかもあるように思いました。
締め切り感といいますが、そういう感覚を日々の生活に取り入れないと、ついついだらだらと過ごしてしまいます。冷静に考えますと、人の命には締め切りが設けられています。ただ、それがいつなのかが、自分では決めることが出来ないので、ついつい締め切り感を喪失させてしまうのでしょう。
ということは、何事に取り組むのにも目標を設定する。そして、その目標の目的を定める。最後にいつまでにという締め切りを設ける。趣味にも仕事にも、私の今後の人生の要諦にしようと気づきをいただきました。