アキバのつぶやき

2026.01.08

法改正にどう対応していくのか。

 木造二階建て住宅でも構造計算書の提出が必要になって、一年近くになります。「安全性が高まって良いことだ」と反射的に思う人も多いでしょう。もちろん、それは間違っていません。ただ、ビジネスや制度を少し引いて眺めると、話はそう単純ではないように思います。

 これまで木造二階建ては、日本の住宅市場における“量の王者”でした。圧倒的な数が建ち、仕様規定という簡便なルールのもとで、設計・申請・施工が高速に回っていた。言い換えれば、「そこそこ安全で、たくさん建てられる」仕組みが最適化されていたわけです。そこに構造計算書の提出義務が、昨年の4月より加わった。これはルールの変更というより、前提条件の書き換えに近い。


 制度を作る側の論理は分かりやすい。
・地震リスクは依然として高い
・木造でも倒壊すれば被害は深刻
・ならば計算によって安全性を可視化すべきだ!いずれも正論です。問題は、正論が現場でどう機能するか、です。
 
 一方で現場では何が起きているか。
構造計算ができる人が足りない。
審査する側も混んでいる。
結果として、建築確認申請が遅れる。
 これは安全性の問題ではなく、処理能力の問題となります。制度は一段階レベルアップしたのに、プレイヤーの人数も道具も、そのまま。これでは渋滞が起きるのは当然です。興味深いのは、こうした遅れのコストが、どこに帰着するかです。最終的には施主が待たされ、場合によってはコストも上がる。しかし施主から見れば、「なぜ遅れているのか」は分かりにくい。

 すると、不満は制度ではなく、目の前の設計者や工務店に向かう。ここに、制度変更の“静かな摩擦”があります。本来この改正は、「木造住宅をきちんと工学的に扱いましょう」というメッセージのはずです。それ自体は、木造住宅の価値を引き上げる方向の話でもあります。にもかかわらず、運用が追いつかないと、「面倒になった」「遅くなった」という負の印象だけが残る。

 これは業務の流れが想像できていない、所謂、ストーリーがまだ完成していない制度ととれます。安全性向上という価値は正しいです。だが、その価値が施主や現場にとって「意味のあるもの」として腹落ちするまでの物語が、まだ設計されていないと感じてなりません。

 構造計算書の提出が当たり前になる時代は、止められません。問題は、それを「ただの手間」にするのか、「住宅の質を語る言語」にできるのか。その分かれ目は、制度そのものよりも、それをどう説明し、どう回し、どう納得してもらうか、そしてその運用の知恵にあるように思います。

 正しいことは、正しく回ってはじめて価値になる。木造二階建ての構造計算義務化は、まさにその試金石なのかもしれませんね。

2026.01.05

2026年の年頭ご挨拶!

 皆様、年末年始はいかがお過ごしでしたでしょうか?
私は、紅白歌合戦を久しぶりに視聴し、特別ゲストに豪華さに見入っておりました。
 
 さて、そんな年末年始の休日でしたが、世の中には、「見る人」と「やる人」がいます。 この区別は単純なようでいて、実は多くの議論をややこしくしている元凶でもあります。

 見る人は、全体を俯瞰し、因果関係を整理し、意味を与えます。いわば、世界を理解する側の人です。一方、やる人は、理解が十分でなくても一歩を踏み出します。世界を理解する前に、とりあえず世界に手を突っ込む人です。どちらが正しいかという話ではありません。そもそも、正しさの土俵が違います。見る人は、間違えにくい代わりに、前に進めにくい。

 やる人は、前に進める代わりに、よく間違えます。ここには、きれいなトレードオフがあります。
ビジネスの現場で厄介なのは、この二つが同じものだと思われてしまうことです。よく考えてからやる人は評価され、考えずにやる人は軽視されがちです。しかし現実には、考えているだけで何も起きないケースの方が圧倒的に多い。

 考えることはコストがかからないので、どうしても過剰供給になります。
不動産の世界でも、市況を語る人は増え続けています。金利、建築コスト、人口動態。どれももっともらしい話です。ただし、それらを語ることで一件の取引が成立するわけではありません。最後に必要なのは、条件を詰め、腹をくくり、署名をもらうという、あまり知的に見えない作業です。

 見る人の言葉は、だいたいきれいです。やる人の言葉は、だいたい汚れています。迷いや逡巡や言い直しが混じるからです。でも、現実はその汚れた言葉の側で動いています。大事なのは、自分がどちらかを選ぶことではなく、今どちらであるべきかを誤らないことです。見るべき局面でやってしまうと無駄打ちが増え、やるべき局面で見ていると、機会は静かに去っていきます。

 戦略とは、賢い答えを出すことではありません。見ることとやることの切り替えを、間違えないことです。この地味な判断の積み重ねが、あとになって「実力」と呼ばれるものなのだと思います。

 今年のテーマは「考道」(コウドウ)を意識して、経営者と従業員が一丸となって、新た分野にも挑戦していきます。どうかお客様、お取引業者様におかれましては、変わらない御贔屓とご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。

2025.12.29

2025年仕事納めに思う

 春になると、毎年同じ場所に同じ花が咲きます。唐の詩人・劉希夷の「年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず」という言葉は、見た目は変わらないが、本質は静かに変わり続けているという世界の真理を突いているともとれます。

 不動産市場ほど、この言葉がしっくりくる分野もありません。
2025年を迎えた日本の不動産市場も、一見するといつも通りです。分譲住宅が売り出され、建売のチラシが入り、駅前の再開発も進んでいます。花は確かに、例年と同じように咲いている。

 しかし、その根の部分、つまり建築コストと土地価格は、明らかに別物になっています。
建築コストは、ここ数年で「上がった」というより、「戻らない水準に移行した」と見るべきでしょう。

 資材高、人件費高、職人不足。これは一過性のインフレではなく、構造変化です。元に戻る前提で議論している限り、判断を誤ります。
一方、土地価格は二極化が進んでいます。都心や利便性の高いエリアは上がり続け、その他は横ばい、あるいは実質下落。土地は同じように見えて、実は全く違う商品になっています。

 ここでも「花は似ているが、土は違う」という状態が起きているのです。
不動産業界の現場にいると、「昔はこの価格で建てられた」「このエリアは以前も売れた」という声をよく聞きます。しかし、それは過去の成功体験という名の幻想です。

 
人は同じではない。市場も同じではない。にもかかわらず、花の見た目だけを見て判断してしまう。2025年の不動産ビジネスで問われているのは、価格の高低ではありません。このコスト構造、この土地条件で、顧客にとっての合理性はどこにあるのか。そこを考え抜けるかどうかと思うのです。

 花は2026年も咲きます。しかし、その花を支える土壌は確実に変わっている。不動産業に携わる私たちは、花を語る前に、まず地面を掘る必要があるのではないでしょうか。

 年々歳々、花は似ている。けれども、その下にある現実は、もう同じではありません。本日をもって、アキバホームの仕事納めとなります。新年を迎えて2026年1月5日は、仕事始めです。新たな思考と気持ちで、さらなる飛躍を目指していきたいです。

 皆様、2025年も大変お世話になりました。良いお年をお迎えください!

2025.12.28

イップスについて

 本年は、レジェンドの訃報を多く耳にしました。野球界では長嶋茂雄氏。サッカー界では釜本邦茂氏。そしてゴルフ界では、尾崎将司氏です。それぞれの分野に一流と呼ばれ天才と揶揄される人が、それぞれの時代に存在します。

 そんな中、ゴルフの世界で語られる「イップス」は、しばしば技術の問題として扱われます。しかし、ジャンボ尾崎氏の言葉や経験を振り返ると、イップスの正体は技術ではなく「心」にあることが分かります。

 正確に言えば、結果に意味を与えすぎてしまうことが原因です。本来、1メートルのパットは物理的には変わらない距離です。しかし、「これを外したらどうなるか」という意味が過剰に乗った瞬間、その1メートルは別物になります。体は動くのに、手が言うことをきかなくなる。これは能力の欠如ではなく、意味の暴走です。

 この構造は、営業の現場でもまったく同じです。営業成績が落ち始めたとき、多くの人は「トークが悪い」「提案が弱い」と原因を外に求めます。しかし実際には、過去の失注体験や、上司からの苦言や仲間からの失笑が心の中に残り、次の商談で無意識のブレーキをかけてしまうケースが少なくありません。

 「また断られるかもしれない」、「嫌なことを言われる」という思考が、声のトーンや間の取り方に表れてしまうのです。
ここで重要なのは、イップスを「克服すべき敵」として扱わないことです。ジャンボ尾崎氏が示しているのは、もっと単純で、しかし厳しい態度です。

 外してもいい。断られてもいい。それでも打つ。それでも会いに行く。これは精神論のようでいて、実は極めて合理的です。結果に過剰な意味を与えないためには、「失敗しても世界は続く」という前提に立つしかありません。

 入れにいくパットほど入らないのと同じで、売ろうとする営業ほど売れなくなる。どちらも「当てにいく」姿勢が、パフォーマンスを壊します。
営業において本当に重要なのは、勝率を上げることではなく、勝負から降りないことです。

 ジャンボ尾崎氏が何度も復活してきた背景には、結果よりも行為を続けるという一貫した態度があります。
イップスとは、弱さの証明ではありません。むしろ、真剣に勝負してきた人だけが直面する現象です。

 だからこそ、避けるべきものではなく、構造として理解すべきものなのです。
営業もゴルフも、最後に残るのは同じ結論です。振り切ること。意味を乗せすぎないこと。そして、続けること。それが、イップスと共に生きるための、最も現実的な戦略ではないでしょうか

2025.12.27

説明について雑感

 先日、京都法務局に出向いたときに、来年一月より登記台帳の申請費用が変更されるという説明を受けました。私の理解力が足りないのですが、全く理解できず、その場を繕いました。私の偏見だと思いますが、どうも国の説明はどの分野でも理解できにくいのが多いと思うのです。年金は最たるものです。わざと解りにくくしているのかと思うほどです。

 さて、不動産の取引でも、「分かりやすくしてほしい」と言われやすい分野はありません。重要事項説明書、契約書、法令制限、ローンの条件。説明する側は真面目に話しているのに、聞く側は途中から思考停止してしまう。これは能力の問題ではなく、設計の問題です。

 不動産の説明が分かりにくくなる最大の原因は、「全部説明しようとすること」にあります。宅建業法上、説明すべき事項が多いのは事実です。しかし、説明すべきことと、理解してもらうべきことは同義ではありません。ここを取り違えると、説明は一気に難解になります。

 分かりやすい不動産説明の第一歩は、「この物件で一番大事な判断軸は何か」を一つに絞ることです。たとえば、「この物件は資産としてどうか」「住み心地はどうか」「将来売れるか」。

 すべて重要ですが、同時には理解できません。ですので、商談のたびに、今日はどれを持ち帰ってもらうのか。そこを決めるだけで、契約時の重要事項説明の骨格が定まります。

 次に必要なのは、「知らなくても困らない情報」を意識的に後ろへ回すことです。 用途地域や建ぺい率・容積率は重要ですが、購入者が何を実現したくて、この物件を購入しようとしているのか、最大の重要事項です。

 「この物件では、あなたの実現したい夢と建築物は可能です」。
ここが腹落ちすると、細かい数字はあとから自然に入ってきます。
不動産説明も「因果を一本にする」作業です。価格が高い理由、安い理由。便利なのに売れ残っている理由。何か一つ、納得できるストーリーを提示することです。

 さらに重要なのは、説明のゴールを「理解」ではなく「次の行動」に置くことです。良い不動産説明とは、「分かりました」で終わる説明ではありません。「もう一度現地を見たい」「家族に相談したい」「ローンの事前審査をしてみたい」。この一歩が自然に出てくるかどうかが成否を分けます。

 最後に、不動産説明で最もやってはいけないのは、「専門用語で安心させようとすること」です。専門用語は信頼を生むどころか、距離を生みます。信頼は、難しい言葉ではなく、シンプルな因果から生まれます。

 不動産の説明が分かりやすいとは、親切に全部話すことではありません。相手が判断するために必要な一本の軸を示し、そこから外れる情報を勇気をもって削ることです。説明とは、情報提供ではなく、意思決定の設計なのです。