アキバのつぶやき
2025.11.09
令和の従業員は梯子を持ち運ぶ働き方が求められる!
「梯子を外される」という言葉には、妙な現実味が存在します。
そこが一番厄介です。
問題は「梯子がなくなった」ことではございません。梯子があることを前提にして生きてきたことが問題です。構造の変化に気づくのはいつも遅い。だから「外された」と感じる。実際には、梯子は誰も外していない。ただ、固定されていたと思っていたものが、もともと不確かな支えに過ぎなかっただけです。
では、どうすればいいのでしょうか。私は「梯子を持ち運べる人」になることが肝心だと思うのです。つまり、自分で足場を設計できる人になろうということです。
会社や制度に依存せず、自分の価値を市場に接続できる人になることです。構造の上に立つのではなく、構造を利用して動ける人。そのために必要なのは、スキルよりも「構造を読む感覚」です。どこに梯子が立てられそうか、どの方向に登るべきか。構造を読み解く眼があれば、梯子を外されても転落せずに済むのです。
そう考えますと、「梯子を外された」と感じた瞬間こそ、実はチャンスとなるのです。自分の足で立つ感覚を取り戻す絶好の機会です。構造が崩れることを恐れるより、構造があるうちに依存してしまうことを恐れたほうがいい。
梯子が外れたとき、ようやく見える景色が現れます。そんな逆説を楽しめるサラリーマンが、これからの時代を生き抜くのだと思うのです。
2025.11.08
午前三時
政治家が「午前3時から仕事をしている」と聞くと、多くの人はまず「すごい」と思います。真夜中の静けさを破って、国の舵取りにあたる姿には、努力と使命感の匂いがします。ですが、ここで立ち止まって考えたいのは「努力の量」ではなく「仕組みの質」です。
経営でも政治でも、重要なのは「どれだけ早く働くか」ではございません。「どんな意思決定の構造をつくっているか」です。午前3時という極端な時間設定は、本人の体力と意志の強さを示すシグナルではあります。でも、システムとしてそれが持続可能なのか、他の人が同じ環境で成果を再現できるのか、という観点が抜け落ちてしまいがちです。また、同時にそれに付随する関係者の存在というものがございます。
「やる気」は個人のエネルギーであり、一時的なブーストです。しかし、「仕組み」は再現性を担保します。前者が短距離走なら、後者はマラソンです。政治も企業経営も、長期戦である以上、個人の頑張りを前提としたシステム設計は危うい状態と思います。むしろ「午前3時でも回る仕組み」ではなく、「午前3時に起きなくても回る仕組み」をどう作るかが本質ではないでしょうか。
それでもなお、高市首相の早朝勤務が象徴しているのは、リーダーの「時間感覚」だと思います。夜明け前の静寂に思考を研ぎ澄まし、日中には見えにくい全体像を描こうとしている。その「先を見通そうとする姿勢」こそが、政治リーダーとしての一貫性を支えているのかもしれません。
「頑張る」だけではなく「仕組む」。それが、真に持続可能な働き方の本質だと思うのです。
2025.11.07
立冬に思う
暦の上では今日から冬です。「立冬」と聞くと、肌寒さよりも、どこか背筋が伸びる感覚があります。季節の移り変わりは、私たちのビジネスにも通じる節目のようなものです。
自然の営みは、人間の経済活動よりもずっと長いスパンで動いています。春に芽吹き、夏に育ち、秋に実り、冬に休む。このサイクルは、一見あたりまえのようでいて、極めて合理的な構造です。
ところが、現代のビジネスの多くは「常に成長し続ける」ことを前提にしています。つまり、冬のない経営です。しかし、自然界に冬があるように、企業や個人にも「休ませる時間」が必要なのではないでしょうか。
立冬の頃に感じる静けさは、成長のための余白です。木々が葉を落とすのは、無駄を捨ててエネルギーを内側に蓄えるため。ビジネスにおいても同じことが言えます。商品やサービスを増やすばかりでなく、いったん立ち止まり、何を「減らすか」「やめるか」を見極めること。それが、次の春を迎えるための準備になるのです。
私は「経営とはリズムの設計である」と思うのです。速さよりも、リズムの良さが持続を生む。立冬はそのリズムを整える絶好のタイミングです。焦って走るよりも、冬の静寂の中で深く呼吸し、次の動きに備える。そんなビジネスの在り方があってもいい。
2025.11.06
不確実性を生きるには
この数年、世界はずっと落ち着かない。昨日の常識が、今日にはもう古くなっている。ニュースを見ても、SNSを眺めても、「何を信じて生きればいいのか」と疲れることが増えた。 でも、そんな不確実な時代を生き抜くコツは、案外シンプルなのかもしれない。私は最近、五つの小さな処世術を自分なりに持つようにしている。
二つ目は、よく観察すること。
三つ目は、小さく試すこと。いきなり大きな決断をするのではなく、少しだけやってみる。その反応を見て、また考える。この「小さな実験」の繰り返しが、案外いちばん確実なのだと思う。
四つ目は、人とつながること。たとえ目的がなくても、誰かと話す。メールでも雑談でもいい。関係があるだけで、少しだけ安心できる。人とのゆるいつながりは、想像以上に大きな支えになる。
最後は、あいまいさを認めること。すぐに白黒つけたくなるけれど、「わからないままでも生きていける」と思うようにしている。未来はいつも未完成だ。それでいいのです。
不確実な時代を生きるって、たぶん、完璧じゃない自分を許すことなのだと思う。焦らず、比べず、観察して、少しずつ進む。
2025.11.03
多様性の寛容その2
『史記・孟嘗君列伝』に出てくる「鶏鳴狗盗(けいめいくとう)」の故事は、経営に置き換えて読むと、まさに“多様性のマネジメント”を語る格好の教材だと思います。
孟嘗君が秦で、秦の昭王に面通りするにあたり、愛妾に懇願すると狐白裘が欲しいと言われた。しかし、既に秦の昭王に献上しており、手元にありませんでした。そこに、末席に座っていた狗盗の達人が名乗り上げ、「私が盗み出しますのでご安心ください」と。
そして、無事盗むことが出来たのですが、今度は秦を脱出する時、開門の規則では鶏が鳴かなければ開けられないことになっていました。そこで、家臣の一人が鶏の鳴き声をまねて城門を開けさせて脱出したというものです。この話の核心は、「取るに足らない」と思われた才能が、決定的な瞬間に組織を救ったという点にあります。
経営において、同じような価値観やスキルを持つ人ばかりでチームを固めると、判断は早くても発想は貧しくなります。一方で、バックグラウンドの違う人材が集まると、短期的には摩擦が生じます。でも、その摩擦こそが創造の火花になる。異なる視点や感性のぶつかり合いの中から、新しい価値が生まれるのです。孟嘗君は、それを本能的に理解していたのでしょう。
彼が優れていたのは、単に「人を集める力」ではなく、「人を活かす構え」にあります。“鶏鳴”“狗盗”のように、一芸しかない者をも受け入れ、それぞれに役割を与える。つまり、人を“序列”ではなく“場”で見ていたのです。この「適材適所の哲学」は、現代の経営にもそのまま通じます。多様な人材を活かすとは、違いをならすことではなく、違いのまま協働できる環境を整えることなのです。
組織が危機に陥ったとき、意外な力を発揮するのは、往々にしてメインストリームから外れた人です。普段は目立たなくても、特定の局面でこそ真価を発揮する。そうした「一芸の人」が動ける余白を持つ組織は、変化に強い。経営とは、結局のところ“人のポテンシャルに賭ける営み”なのだと思います。
鶏鳴狗盗の故事は、リーダーにこう問いかけているように感じます。あなたの組織には、“一見役に立たなそうに見える人材”が生きる余白があるか。
多様性を受け入れるとは、寛容ではなく戦略なのです。